2014年4月28日月曜日

『学びの食卓』× omni-cafeコラボ企画 「あたなから見える食。食からみえるあなた」

 桜がのこる4月6日、omini-cafe初の試みコラボ企画を開催しました。

 一緒にコラボをした『学びの食卓』プロデュースさんは「大人の食育・医療育」をコンセプトに実食を取り入れてワークショップをしているグループです。
 そして、今回はゲストあり!湘南ベルマーレフットサルクラブの久光重貴選手をお招きしてお話いただきました。


 場所は、国の有形文化財に指定されている旧横浜ゴム製造所記念館、通称『八幡山の洋館』で行いました。http://hiratsuka-yokan1906.jp
 ここの建物がある八幡山公園には桜が満開でした。その日は、一日雨の予報でしたが、はじまりとおわりの時間はちょうど雨が上がり、晴れ間も見えるほどで、参加されたみなさんも雨にぬれずに参加することができました(みなさん、日頃の行いが良すぎます!!)そして、桜が本当にきれいでした。こんなすてきなところを市民に開放して、しかもお安く借りられるのはありがたいことです。

 『学びの食卓』というだけあって、このワークショップは毎回実食があります。今回は、平塚市内にありゲストの久光さんが通いつめているオーガニックレストラン メゾン・ド・アッシュ×エムさんのランチボックス付きです!!開催前に美味しそうなのがきれいに並びました!(*^^*)
 ちなみにここのオーナーはとっても熱い♡の持ち主!平塚のまちづくりのために走りまくっています!機会があったらぜひ足を運んでみてください。もしかしたら久光選手に会えるかも?!
maison de H×M http://b-h-m.com
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ワークショップのスタートです!
 まずは『学びの食卓』プロデュースの代表武藤さんから、このワークショップについて簡単にお話ししていただきました。
 ご自身ががんを体験したことをきっかけいに、自身のココロやカラダを人まかせにせず、自分でできることは自分でコントロールできるようになりたい、それを多くの人にも伝えたいとはじめたのが、この『学びの食卓』です。
 病気になっても障がいがあっても、人まかせにせずに自分の生き方を選択できる。これは、omni-cafeのベーステーマ「自分らしく生きる」にもつながるものがあります。そんな『学びの食卓』とomni-cafeが共鳴し、コラボをすることになりました。

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 さあ、久光選手の出番です!

  久光選手は、昨年肺線がんと宣告されました。
 それまで、サッカー選手としてそれなりに健康に気を使っていたようですが、プロテインや野菜ジュースを飲むなどもっぱらサッカー選手としてのカラダを作ることを意識していたようです。
久光さんのビデオ鑑賞中。湘南の番長!
 がんになる前にも非常に強い痛みのある骨髄炎になったこともありました。この痛みは、この足を切断してしまいたいと思うほどに、がんになったことよりも堪え難いことだったそうです。そんなこともあり、それほど自覚症状もなかったので、がんといわれたときは、担当医にまず聞いたことは「いつになったらサッカーできますか?」だったそうです。担当医の返事は「あなたはサッカーが大切ですか?命が大切ですか?」。久光選手は、はっとしたそうです。
 それからがん治療が始まりました。副作用により食事の味がしなかったり、嘔吐や下痢をするようになりました。でも、薬を飲むために食事をとる、だけどとった食事はすぐに外に出てしまい身にならない、という繰り返し。何の味もしない、ただ胃に入れるだけ、でもすぐに出てしまう食事。なんのために食事をとるのかわからなくなったといいます。また、すぐに下痢をしてしまうので外出することもためらわれたそうです。
メゾン・ド・アッシュ×エムのランチボックス
 そんなとき、平塚のメゾン・ド・アッシュ×エムさんのオーガニック野菜を食べたときに、食べ物というのは味わいという楽しみ以外に食感というものがあるということに気がつき感動します。そして、ずっと続いていた下痢が止まり、さらに、レストランという空間で食事を通して仲間と時間を共有する楽しみも得ました。それから、久光さんは「ピッチに戻るため」に食事をとるようになりました。
 現在は、フットサル選手として、がんを体験したことや食事への気づきを通して小児がんの子どもたちへの支援とがん啓発活動を精力的に行っています。 

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 久光選手は次の予定があるためにここでお帰りになりました。非常に感動的で貴重なお話をありがとうございました!当事者のナラティブ(語り)は心にグッと響きます。
 なんと4月1日には、日本対がん協会のフットサル大使に就任しました!
 http://www.jcancer.jp/news/4931
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 久光選手の感動的なお話を伺った後は、みんなでご飯!!(*^^*)感動的なお話を聞いた後でもあり、久光さんが大好きだという食事を食べながらでもあり、自然と会話がはずんでいました。
 実は、今回は美味しいご飯だけではなく、武藤さんが美味しいまめ茶を持ってきてくれました。当たり前ながら、まめの味のするまめ茶。懐かしい味でなんだかほっこりしました。

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  おいしいご飯を食べた後は、いよいよワークショップの始まりです!すでにご飯を食べたことで心がほぐれていたようですが、少しだけアイスブレイク!










 
 
 今回のオープニングクエスチョン「食べて笑顔になったときってどんなとき?」を、個人個人紙に書いて整理した後、各テーブル内でシェアしました。
 いろんな笑顔の瞬間がありましたね。ひとそれぞれ笑顔の瞬間は違うものの、やっぱり美味しいものを食べたとき!が圧倒的(^^)

 次のワールドカフェをするにあたり、こちらでテーマを設定するのではなく、今ここにいる参加者と一緒に話し合いたいテーマを募集しました。出されたお題を4つに絞り込むために多数決をとりました。
決まったお題は・・・
①なぜジャンク?!
②摂食障害
③孤食
④食事をする上での優先順位


 以下、各テーブルのファシリテーターが内容をシェアしてくれました。皆、あついファシリテーターさんたちなので、長いです。覚悟してお読みください…(^^;; それぞれの個性も含めお楽しみくださいww


①なぜジャンク?!

ジャンクといえば・・・
「ジャンクフード」といえばはたしてどのようなものがあるのか?このテーブルでは最初に、各自子供の頃の記憶を呼び起こし、思い浮かぶものを挙げてみました。マック(マクドナルド)などのファストフード・・・子供は大好き。カップラーメン・・・学校から帰るとおやつによく食べた。ポテトチップス・・・食べ始めたらやめられない、とまらない。旅のお供だったりする。安くてしっかり空腹を満たせる点では若者の味方。しかしどれも味が濃い。やがて成長して大人になると、自然と体が欲しなくなる。あまり食べたいと思わなくなる。健康志向が高まる世の中で、体によくない食べ物だとの認識も自分の中で強くなり、次第に遠のき食べる機会が減った。だからやっぱり味方ではなくて悪魔かな。過去から今日に至る時の流れと共に、ジャンクフードと自分とのあいだに隔たりを感じるコメントが目立ちました。

ジャンクは不要?
 かつてに比べ、今では食べる機会が減ったジャンクフード。「ではジャンクはもう要らない?体に及ぼす影響も決してよくないのであれば、世の中からなくなっても大丈夫?」この問いかけに出てきた答えはズバリ“NO。その理由として、忙しくて短時間で食事を済ませたい時、(家での)食事の時間まで空腹を我慢できない時には必要。手軽な感じがよいと思う時がある。たまに無性に食べたくなる時がある。むしろ食べてる時楽しいと感じる時がある。といった声が聞かれました。
 「ではどんな時に食べたくなるのだろう?」ワールドカフェの旅人は答えます。疲れている時食べたくなる。普段健康を気遣う食生活を送っていると、時々羽目を外したくなる。そんな時、衝動的に手を伸ばしているな。よくないと思う気持ち、罪の意識もあるので、ジャンクフードの中でも多少なりとも野菜の入っているものなどを選んで食べたりする。原材料には中毒物質が含まれている。だからやめられないのかな。「ジャンクフードは麻薬だ!」こんなコメントに一同笑いながらも、その一方で、物理的・精神的に忙しく緊張した毎日を送る中で、実はジャンクに助けられる、あるいは、支えられる場面もあることを意識したのでした。
 加えて、“季節限定”“期間限定”と謳われた限定もののジャンクに弱い。ついつい今しか食べられないからと買ってしまい食べてしまうとの意見もありました。提供者であるメーカー側の戦略とわかっていながらもワナにはまる自分がいることに沢山の共感が集まりました。

正しいジャンクの取り方とは?ジャンキーを育てない環境とは?
 ではどのようにしたらジャンクフードを適度にそして適切に取ることができるのか。ジャンクフードばかりを好むような子供を増やさない、むしろ育てないようにするためにはどのような環境が必要なのか。改善点とも言えるこれらのポイントについて対話は進みました。ジャンクフードが体に及ぼす悪影響がどれだけのものなのか、まだ現状では一般生活者に浸透していない。データ活用の可視化を実現してわかりやすく生活者に訴える工夫・啓発する機会が必要。また、小さい頃からジャンクフードを常習的に取らない工夫、楽しくジャンクフードを適度に取る方法として、お正月やクリスマスのように「“ジャンクの日”を定める!」との斬新なアイデアが生まれました。日頃は健康志向の食生活を送り、定められた日には特別ジャンクを楽しむ。「もはやジャンクは食事とは違うジャンルだ!」そして、忙しい時、短時間で食事を済ませたい時は、“ハンバーガー”から日本人のソウルフード、“おにぎり”に変えてみる。もっと日本食を見直してみる。「食」という字は人を良くすると書くのだからもっと学んでみよう。尽きることのない様々なアイデアが模造紙を埋めていきました。

 「なぜジャンク?」というお題から始まった対話は、ジャンクフードの持つ二つの側面とジャンクフードと自分自身の関係性、そして未来に向け自分達でつくる新たな環境について展開し大盛況のうちに終了しました。
ファシリ:『学びの食卓』代表 あっちゃん

②摂食障害

「摂食障害」が対話のテーマとなったこのテーブル。脱線しながらも様々な話が飛び交いました。
 大きくわけると以下のような話が出ました。
・「摂食障害」とはなぜおこるのか、どのような状態なのか、何が原因なのか
・食べることが気持ちよくないってどういうこと?
・食べることにはたくさんの意味がある。男女でも違う…etc... 
他にもたくさんの話題が出ましたが上げればきりがありません。。。
 摂食障害の原因には、はは小関係、自己肯定感の不足、不規則な食生活、家庭環境等が関わっているのではないか。実際にお仕事で摂食障害の方の様子やしてはならない話題等の話も出ていました。食事の話は治療場面では禁句だと言う話は印象的でした。
 また、摂食障害の方にとって食事は楽しいものではないだろうという話から、食べることが苦痛ってどんな状態なのかという話に展開しました。食べることが苦痛と言う参加者は今回はいらっしゃいませんでしたが、落ち込んでいるときは食欲がわかないという人は少なくないようでした。 摂食障害の方は、食べることに罪悪感を感じることもあるそうです。今回参加された男性型は食べることに罪悪感を感じないと言うことでしたが、女性にはその罪悪感を感じる気持ちを分かると言う方もいらっしゃいました。女性は、健康的なもの、美味しいものをたべているときに自分自身に自己肯定感を感じているようでした。
 「自分をきれいにする」「素敵なものを食べる」「健康を保つ」「誰かと一緒にいるために食事をする」など、食事には様々な意味が含まれているという話でした。
 摂食障害がどのようなものなのか、社会問題として話したい人もいれば、摂食障害を切り口に自分の生活での食の捉え方を話そうとする方もいました。それぞれが、食に対して自分の考え方を持っているようでした。自分の体をつくる材料は、全て口から取り入れているのだから当然のことなのかもしれません。こうやって集まった皆さんが、それぞれの食生活を経て、健康にこの場所にいることに、私は改めて驚きました。
Omnibusファシリ:成田氏

③孤食

1.一人で食べるは「孤食」?
「孤食」という言葉に対して、はじめに、そもそも一人で食べること自体が寂しいことなのか、豊かな食事じゃないと言えるのかという問いが挙がった。一人で食べることが全般的に否定されているのではないか、これからの高齢者は一人で食べることが当たり前になり、一人で食べることを楽しむことが必要であるという意見も挙がった。
一人で食べることに対して、「一人で食べる場合でも、自分でこだわって作った料理を食べるときや、お気に入りのカフェでゆっくりと一人でご飯を食べるときなど、とても豊かで大切な時間である。」という話になった。一方で、集団で食べていても孤独なとき、豊かではないときがあることも分かった。職場で、同じ空間で食事をしているが、それぞれが仕事をしながら食べていたりと、一緒に食べている味やその時間を全く共有できていないことがある。この場合、誰かと一緒に食べてはいても、豊かな時間とは言えず、ある意味、孤食なのではないかという意見に達した。
一人で食べていても、集団で食べていても、豊かなときもあれば、孤食と言える食事もある。その違いは、その瞬間、その場を楽しむことができているか、集中しているか、ではないか。一人でも誰かと一緒でも、その状況を受入れて楽しむことができる、味わうことができることが豊かな食事であり、その逆の状況が孤食なのではないか。
一人で食べることが、孤独である、豊かではないというイメージはどこから来ているのか。日本は、昔からちゃぶ台を囲んで、お鍋や大皿など、一つの料理を皆でつついてともに食べる食文化だった。一方、西洋では、それぞれ、お皿が独立し、普段の同じ料理を共有することがない。一人で食べることが当たり前の食文化であった。日本人が一人で食事をするときに、孤独なのではないかとイメージする理由はこういった食文化が一つの要因ではないかと話した。
一人で食事をする中で、孤独を感じない、楽しめる食事とはどんなものか。女性陣からは、「好きなものを作って食べるのが楽しい。」などの意見が多かった。また、高齢者の自宅へ弁当の配食をしている方が、「今まで自分がやっていた配食は、届けたときに内容の説明や会話をする。その行為が、その人の食事を豊かにしてるかもしれないとこのテーマで気付いた。」と話してくれた。確かに、そうやって届けられるお弁当でも、届けてくれた人の思いを感じながら食べる、それは置いてあるお弁当を食べるよりもおいしく食べられる工夫になりえる。一人での食事も工夫次第で少しずつ豊かになることが分かった。

2.食事は人が豊かになるために
そして次に、人が食事をとるのは、栄養を摂ることやお腹を満たすための行為だけでなく、豊かになるために行う行為である、という意見が挙がった。人が豊かになる要素の一つとして大切なことは、他者と交流すること。誰かと一緒に食べ、味やその空間を共有することが食事にはとても大切であり、その中で、食をはじめ様々な文化を感じ、身に着ける。日本の文化、各地域の文化、その家の文化、それぞれを食を通して身に着ける。それは特に、人の成長、発達にとって重要であり、子供が家族とともに食事をとることにはとても大きな意味があるのではないかという意見が挙がった。箸の持ち方や、食事のマナーなど基本的な食事の仕方を親や大人たちから学ぶ。それ以外にも、全員が席に着くまでは食べることを我慢するなどの他者への配慮を学ぶことや、おいしいね、あったかいねという心地の良さや、感じたことを、他者と共有すること、人は食事を通して様々なことを学ぶ。
今の家庭は共働きが増え、夜遅くまで塾へ通う子供が多い。簡単に食べられる食事、一人で食べる食事は子供たちに何を招くのか。そのような家庭では、食事の基本的な仕方や感情の共有を行う機会の少なく、食べるための必要な要素を学ぶことができずに成長していく。現在、大学では、一人で食事をすることができず、トイレや階段など、人目のつかないところで昼食を摂る学生の存在が問題となっているのだと言う。そのような学生は退学や休学になる確率が高いとも言われているそうだ。家庭の中で、基本的な食べるという行為を習得できないと、一人で自立して食べることもできないのではないかという話も挙がった。大学での昼食の問題は、その他様々な要因が関係していると思われるが、一人前に食事をすることができるため、また一人での食事を楽しむためには、基本的な食べるの行為を学ぶ必要があるのではないか。参加者の方が、個食は大人の楽しみと表現したが、とても納得した。

3.社会の変化と食
 以上に挙がったように、今後も日本では多くの高齢者が一人で食事をすること、共働きの家庭、子供が夜遅くまで塾に通う文化は大きく変わることはないと予想される。以前のように、多世代の家族で食事を囲むことが困難になったという変化にどう対応していくのか。参加者の中から出たキーワードは、地域とシェアだった。以前の家族の形で食事を囲むことが難しくなった変わりに、地域の中で工夫をしていく必要がある。学校給食の中での工夫や、地域の資源を利用し、血のつながった家族とは異なる、関係同士でも、食を囲む機会を持つことで、ともに食を通して学ぶことができる。地域はそういった可能性を持っているのではないか、新たな食卓の形をもっと作っていく必要があるという話で時間が来た。

4.「孤食」について対話しての感想
 約15分をそれぞれメンバーを変えて3回、対話を行った。45人で15分という限られた時間の中で、「孤食」というキーワードをもとに、食の楽しみから、食事が持つ要素、社会問題と食など、広い範囲でそれぞれの考えを深めることができた。個人的には、食卓を囲む中で行われる、おいしいねという感情の共有や、目の前の料理を作ってくれた人と食べることなどが人を成長させたり豊かにするという対話に、生活することの大切さと喜びを改めて感じた。問題提起から、食とは?という基本的な知識の共有、子供たちへの影響や本来どうありたいかを各ラウンドでそれぞれじっくりと共有した。今後の方向性として、導かれたものには、時間の制限もあったため具体性はないもしれない。しかし、今回のように、様々な文化を持った参加者が対話を重ね、多様な価値観の中で作り出された共通認識をもとに、何か問題の糸口を探る。そのような場ができたら、より具体的で実行性のある方法が導き出せるのではないかという可能性も感じた。
 しかし、やはり対話の面白さは、同じテーマについて語りあう、違う文化・価値を持った人々が、相手の意見を、「自分とは異なるもの」、ではなく、「新しい見方」として、捉え、いつの間にか自分の価値観が新たな形になっていることである。そして、それをそれぞれの生活で知らぬ間に活用してしまうのが、対話の魅力だということを今回のテーマを通して再認識した。
Omnibusファシリ:あず

④食事をする上での優先順位

 このテーブルでは、「食事をする上での優先順位」の中でも、特に「食材」にフォーカスが当たり、「食材」をどう優先するか?なぜ優先するのか?という話が中心になりました。

1.ライフスタイルと食事
 このテーブルに最初に集まったのは女性のみだったため、女性の立場での話がまず始まった。
 私たちは、毎日忙しく働いている。毎日の生活の中で必ず食事の準備をすることが難しくなっている。家族がいれば別だけど、1人暮らしだとついコンビニ弁当やファミレス等で済ましてしまうことが多い。
 コンビニ弁当やファミレスの食材は、大量生産大量消費の資本主義のシステムの中で、大量の農薬が使われている野菜等が入っている可能性は高い。そんな食材を私たちは知らず知らず当たり前に食べてきた。果たして健康への影響はどれほどのものなのか?今の若い人に骨折が増えていることや国民病といわれるがんなど、もしかしたら…と考えてしまう。私たち20〜30代の大人が、そういう食材を食べているということは、結局は自分たちの次の世代の子どもたちに影響を及ぼすと言うことでもある。
 だけど、世に出回っている食材は果たして安全なの?どこにいけば安心して食べられる食材があるの?そして無農薬野菜は高いし…。そんな気軽に利用できない。仕事をがんばることも否定もできない。あまりに食に気を遣いすぎて精神的にも身体的にも疲れてしまっては逆効果。ではどうしたら?
 毎日の食事の食材を全て変えることは現実的ではない。ある人は、そんなにおかずはいらない、ごはんと一品…みそ汁だけはつくるようにしているとか。外食の時は割り切る!が上がった。結局は、今の現状を知った上で、私たち自身がどんな暮らしをしたいのか、どんなライフスタイルを送りたいかによって選択できることが大事なんだという結論の達しました。

2.文化の継承
 日本人は繊細な味を見極められる舌の持ち主です。日本人の味覚は、他国と比べると非常に幅広いと言います。だけど、ライフスタイルの変化から日々の食事を弁当やレストラン、ジャンクフード等で代用していると濃い味付けに慣れてしまい、味覚が劣化していってしまうのではないかという意見がありました。最近は、賞味期限が過ぎたら捨てるため、味覚を使って味を確かめる機会が少なくなったため、腐った食べ物も見極められない若者が増えていると言います。
 「食育」いわれるけど、むしろ教育の過程で舌を養う体験を積むことが大切なのでは?食材のルーツや旬、種類を味わうことで体験し理解していく。あれ?これは旬のものじゃないね、という気づきになるし、危険を察知する訓練にもなるのではないか。

3.食べることは命とつながる
 貧困や忙しさ、あるいは食への意識の低下からか、子どもにファーストフードを日常的に食べさせてしまうケースも増えている。その結果、子どもの心疾患や糖尿病が増えているという。食べるということは、自分のカラダをつくり、命につながる。直接カラダをつくるものであれば、安心できる食材を食べたい。逆に、病気も、薬や病院ばかりに頼るのではなく、自然の力を借りながら治していきたい。
 そして、本来「いただきます」ということは、食べ物の「命」を「いただきます」という意。昔は、非常に厳粛に食を囲んでいたという話も聞きます。食べ物の命を頂くことで自分の命へとつながる。そう考えると、大量生産のシステムで食卓に来た食材のことを思うと、今一度現状を知り、自分たちにできることを考えないといけない、という話も。

4.安心感を得ること、ココロが満たされること
 様々なことが話あわれましたが、この対話を通して「食事をとる上での優先順位」は、安心感を得られることとココロが満たされることによって決まるという気づきが得られた。
 私たちは、もっと食について関心をもって知ることからはじめないといけないのかもしれない。そして、私たちが忘れがちな日本の食の文化を、少しでもいいので生活の中に取り入れてみてもいいのかもしれない。
Omnibusファシリ:ゆっこ

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 最後に、テーブルで話し合われたことを全体で共有し、振り替えりとして個人ワークで「気づいたこと」「生まれた疑問」を整理し、それをテーブル内で共有しました。全体の共有では、どのテーブルもとても深いところまで対話ができたのだなと言うことが分かりました。個人ワークでは、ワールドカフェ中は非常ににぎやかでしたが、この時間は一気にシーンと静かになり、みなさん真剣に振り返っていました。たくさんの気づきがあったのかもしれません。

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 今回、私自身、あまり関心のなかった食についてのワークショップ。これまで向き合ってこなかったテーマだけに、どうなるかとても不安でした。しかし、ここ1年くらい前から食事が深夜近くになることが続き、食後の胃もたれなど体調が悪くなることもあり、気になっているテーマでもありました。
 今回のワークショップで、意外にも多くの人たちのベースにある思いはどこか似ているものがあるように感じました。皆さんが自分自身の食、日本の食について「どこかおかしいかも?」と強弱はありながらも感じていたようです。


<参加者の声>
最後の振り返りに書かれた内容を一部ご紹介します。

・「食」たべるということは、本当に命に直結しているのだという実感が持てました。自分が何を大切に考え「食」と向き合うのか、どこまで食材にこだわるのか、食事の質について、満足度について、立ち止まって考える時間になりました。
・一人暮らしの高齢者の給食サービスが担っている役割を改めて確認しました。(1人で食べていてもそれを届ける人、調理する人がいるという、人のつながりを届けることが重要なのだということ)
・今回の4つのテーマは、非常に現在日本が抱えている問題が浮き彫りになり、今後次の世代の人たちにどのように伝えて行かなければならないかを痛感しました。
・地球上で四季のある豊かな日本が本来もっている文化を大切にしていくことを今からでも考えていく必要性を感じました。
・食べることは生きること、命につながっているという感覚が薄れがちな現代。あらためて健康に楽しく食べることの大切さを感じた。
・どうしたら家族という枠なしで地域・多世代が、食でつながる楽しい場づくりができるかな?つくりたい!! 
・「食べる」ことにはバランスをとることが大切。栄養・個と集団・ライフスタイル(時間)・どんなものを食べるか?何を楽しむか?
・豊かな食へ。味覚を育てるという考え。(自然の物・本物・おいしい物を食べる)、未来の自分へ優しくする手段。日本の文化。
・病気になったとき、食事の取り方を良くすれば、より良く生きることができる。私たちは普段の食事の意味を理解し生を充実することができる。
・孤食・ジャンクフード・食事の順位・摂食障害のテーマを通して、食の変化が時代の変化に応じて生まれてきていると考えることができる。他国と比較し、日本の問題を理解して改善策を考えたい。
・食に求めるものは「安心感」「満足感」だということ。食べる時間の過ごし方・感じ方で良い時間にも悪い時間にもなるし、食べるものの選択によって良いものにも悪いものにもなる。選択する自分の責任を感じた。命を選択することだとも思った。
・孤食・個食の話題で、食べるためのベースができているから個食ができる、という意見があった。この中でいえるのは、やはり、家族や地域の中で自分のベースをつくることができていることが大切。
・日本人として、この生まれながらの器質を大切にしたい。

※なお、ワークショップでの発言内容や写真の掲載については、参加者の同意を得ています。


<編集後記>
 今回も遠くから近くからたくさんの方々が集まってくださいました。いつも本当にありがとうございます。
 そしてomni-cafeとしては新しいことに3つもチャレンジしました。それはコラボ・ゲストスピーチ・実食。このゲストがまたすばらしかった!これは武藤さんとのコラボがあってこそのチャレンジでした。武藤さんと久光さんに感謝申し上げます。ありがとうございました!
 私はこのワークショップを経験してから、お昼ご飯を外で買わずに家の食材を使って持ち歩くようにしました。そして、気軽にコンビニやコーヒーショップに立ち寄らないようにしています。食材のプロセスまではこだわれないので、まずはできることから変えようと思ってます。(非常勤勤務になり節約しないといけない状態になったと言うのもありますが…)
 そして、このブログ…。今回もまた更新が遅くなってしまいました。そして、だんだんと長くなってしまっています。果たして最後まで読んでくださった奇特な方は何人ほどいらっしゃるのか…。ワークショップに参加できなかった方にも現場の熱気が伝わればと思い、ついつい長くなってしまっています。。。どうかご容赦ください。


Omnibus代表 西野由希子

2014年2月24日月曜日

第3回 omni-cafe 「はたらく」ってなんだろう?


去る22()に第3回omni-cafeを開催しました。
実に半年ぶりのomni-cafeでした。


テーマは 「はたらく」ってなんだろう?

参加者は過去最高の(といっても全3回ですが)21名!!
(事前申し込みは23名までも・・・)
正直、ここまで人が集まったことがなかったので、当日はヒヤヒヤでした。

今回は、平塚市民センターという、昭和のにおいがプンプンする施設で実施しました。(Omnibusのメンバーは、なぜかこの昭和の施設に大興奮でしたw)

omni-cafeタイムテーブル byよこちゃん


たくさんの人があつまってくださったので、今回はいつもと進行を変えてワールドカフェスタイルで実施しました。

まずは緊張をほぐすために自己紹介を兼ねてアイスブレイク。
(一番緊張していたのはわたしかもしれない・・・w
みんな笑顔(^^) アイスブレイク大成功!(時間配分以外w)

思った以上に自己紹介に盛り上がり、なんと、ここまでで1時間も・・・。
時間配分をあやりました・・・だけど、皆さんが仲良くなれたかもしれないです(^^)vあくまでも前向き!




あたたまってきたところで(あたたまり過ぎ?!)、テーマである「はたらくってなんだろう?」にあわせて、ここに集まった人たちと話し合いたいお題を参加者から募集しました。


今回のメインファシリテーター あず!


いただいたお題は4つ。
(1)なんのためにはたらいていますか?
(2)何歳まではたらきたいですか?
(3)自分らしくはたらいているとき、自分らしくないとき
(4)食いぶちとしてのはたらく以外にあるとすれば、何がありますか?


(各テーブルのOmnibusスタッフが内容を書いてくれました。だいぶ簡潔にかいてくれましたが、ちょっと長いです)


お題(1)なんのためにはたらいていますか?

“なんのために”はたらいていますか?
このテーブルでは、テーマが大きかっただけに、さまざまな視点からの対話があったようです。


「お金」家族を養うため。ライフサイクルの中でも子供がいるなどの時期はお金がかかる。自分のために働くなどは余裕が出てきたら。時期によって変わるのでは。お金が無いと何のためになど考えない。男性は特に大黒柱的に働くという選択肢以外無い場合もある。

自分のため。地域のため。自分がやりたい仕事をつきつめていくと、仕事は一人でやるものではないから「情けは人のためならず」ではないが自然と人のため、地域のためなど別の目的につながって行くのでは。

女性は男性の働き方にあわせたり、主婦や子育てということもやっていて変化がある。

日本国民は働いて納税をするという義務がある。様々な事情で働けない人はどうするのか?障害年金を受給していてもそこから税金を払うシステムではなく先に引かれている。そうではなくて、自分が払うことで「参加」しているという気持ちも生まれるのでは。納税した後に使い道などが良くわからない。権利としての納税になるよう、「取られている」のではなく「こういうことに使うから自分が納める」という気持ちがもてるような徴収の仕方ができるとよい。

地域のためはたらいているがお金にならない。これでは続けていけない。お金を生み出すシステムづくりをしたい。人と人とのつながりの中から仕事が生まれてくるのではないか。

収入を得るだけが「はたらく」なのか?他にもはたらくことの意味はあるのではないか?はたらくことの目的自己承認、参加、役割を得る、アイデアを出すなど金銭的な対価を得ることだけではない。現状があまりにも金銭的な対価を得ることに重きを起きすぎているのではないか?

「自分のためにはたらく」という視点では、短期的な印象しか受けないがその自分も変わっていくのでは。自分が先輩になれば後輩に教えていくなど、自分のためだけでない、自分が提供するという立場にもなりうる。お互いに提供しあう、という考えを皆が持てると変わるのかもしれない。

by Omnibusファシリ:しず


お題(2)何歳まではたらきたいですか?

何歳まではたらきたいですか?
 ここのテーブルでは、まず初めに、テーマ提供者から、「できることなら、今すぐにでも仕事を辞めたい!世界中日本中旅をしたいし、本やゲームを一人で楽しみたい」「仕事なんてしたくない!」「皆さんどうですか?」との質問がありました。

最初のラウンドでは、テーブルに集まったメンバーの多くは、稼ぐ形の働くは退職したとしても、地域や自分の得意を生かして一生何か役割をもっていたい、地域で何か貢献していきたいという人がほとんど。テーマを提供してくれた方は驚き、「自分は今の仕事に向いていない気がする、いい仕事だとわかっているが、人と関わる仕事が苦手」といい、そんな気持ちではたらいているため、今回のテーマを投げかけたかったとのこと。お互いにはたらくことの捉え方を話している中で、今回のテーマの裏に「自分らしい、自分が幸せになるための働くを探している」という本当のテーマが隠されているのではないかと、その場の参加者からいくつかの考え、問題が挙げられた。(深い!)

このテーマから派生して「はたらくとは」について話が展開された。まず、働き方の変化。昔の「働く」には、手を動かし、何かを生み出したり、人に直接かかわることでお金を得るなど直接的なしごとが多かった。ものづくりだったり、商売だったり、働くは目に見えるものだった。仕事の実感がわかりやすく、また子供たちも大人たちの姿を見て働く姿を見ていたし、家の稼業を小さなころから手伝うことで、すでに働いていた。今の学生(参加者の中で学生の頃の話をしてくれた)は、「働く」というイメージが沸かない。沸かないから、やりがいや良い面を感じられない。どちらかというと億劫なもの、義務的なものに感じてしまう。しかし、実際に働いてみたら、楽しい、やりがいがある。しかし、今度は過度に働きすぎる。休まなくてはいけない状態まで働きすぎてしまったという経験談も挙がった。現在の働くは、ほとんどの学生が実際に目で見ておらず、経験していても、稼ぐためのバイト、家族の働くも見えない環境で、自分の仕事を選ぶことが余儀なくされている中で、はたらく心構えや、自分らしい働き方を見出すのは困難ではないかという意見も出された。

そのほか挙がった、はたらくことに関する考えや問題を以下に列挙。
・はたらくとは、人・社会との接点を持ち続けること。稼ぐことだけが働くではない。
・はたらくとは、決して心地よい、自分に合っているものばかりではない。しかし、その中で続けること、葛藤の中で働くことは人をより豊かにする。物質的な豊かさから、精神的な豊かさへかわっていく。
・はたらくという定義にしても、働き方、職業の種類にしても、はたらくということが狭くなった
・稼ぐという意味で働き蜂になった世代が団塊の世代。彼らは仕事がなくなって役割をなくし、日中の活動が見つからず家に一日いる、社会との接点がなくなり、それが、自己肯定の低下や身体的・精神的機能の低下にもつながっているのではないか。

by 
Omnibusファシリ:あず


お題(3)自分らしくはたらいているとき、自分らしくないとき

自分らしくはたらいているとき
自分らしくないとき
  このテーマを問いかけた参加者の方は、 内向性が高いという性格や、社会不安障害(人見知り、あがり症、引っ込み思案)などのため、 コミュニケーションなどで自ら工夫・努力しても、 周囲からの理解・協力が得られず、また当人も強みを活かす機会が見つけにくいことにより、 就職・転職・再就職や、働く毎日のプロセスで困難にぶつかる事例を多く見てきた方でした。  Cafe参加者に対し、「不得意・弱みとうまくつきあいながらも、 得意・強みとなる特性・能力を活かして働く可能性は、どの程度ありうるのか? 周りの人たちの協力を得ながら、実際にはどのように試行錯誤しているのか?」 という問いを投げかけていました。



このテーブルテーマに対し、最初にあがった発言は「仕事を楽しいと感じられるときに自分らしくはたらけていると感じた」。他にも「好き」「モチベーションがあがる」「自分を活かせている」などのキーワードで表現された。自分らしくないと感じるときは望まない仕事内容をしているとき。モチベーションが高まらず、責任感だけで仕事をしているときは「自分らしくない」と感じる。
この話については世代や性別によってとらえ方や主張が大きく異なっていました。50代以上の方や障害をお持ちの方や男性からは、「仕事というのはそもそも楽しいものではない」「仕事内容の選択肢はなかった」「稼ぐことが一番の目的、自分らしさを考えたこともなかった。耐えることが仕事だった」など、「はたらく」を考える中で疑問に思ったこともなかったという意見が聞かれました。

「自分らしく働く自由に働くことができるわがままを通すこだわって働く」
そもそも「自分らしく働いている」とはどういう状態か?この問いに対し、様々な意見がでました。「自由に働ける状態のこと?」「わがままに働きたいという意味ではない」「こだわって働くこと?」「自分らしさ」自体、明確になっているものではない。楽しいことも嫌なことも経験しながら、いろんな刺激によって気づき磨かれていくものが「自分らしさ」ではないか。

どんな仕事内容であっても、楽しもうとするかどうかは自分次第であるという意見も。「仕事」を「志事」に!!という名言も。自分以外の人で「自分らしく」はたらいていると思える人はどんな人かイキイキと働いている人。仕事が楽しそうな人。自分の仕事を天職だといえている人。自己効力感の高い人。志事人。

仕事に限らず、「役割」がみつからない空間は苦痛。「役割」や「居場所」があるということ、「感謝される」など賃金以外の対価によって「自分らしくはたらく」ことに対する価値がえられることも対話を通してわかってきました。

このテーブルでは「自分らしさ」とはなにかという疑問に対しても、考えるきっかけが提供されたと思います。そして、答えはすぐに見つかるものではなく時間と経験の積み重ねによって日々変化していくものでもあるという気づきが生まれました。仕事を志事に!業務内容や環境に対する適性はもちろん大事な要素ですが、楽しもうとするのは自分次第ということも大事な気づきになったと思います。

by 
Omnibusファシリ:よこちゃん

お題(4)食いぶちとしてのはたらく以外にあるとすれば、それは何がありますか?

食いぶちとしてのはたらく以外にあるとすれば
それは何がありますか?
 このテーマでは、そもそも対価としてのお金がないことも「はたらく」があればなに?というテーマだけに、はたらくことに対する対価にお金だけを求めていない人がまず集まりました。

一生懸命することは、すべて「はたらく」ことになる。釣りやギター、旅だって一生懸命やれば「はたらく」ことになる。人のために何かできること、得意なことを活かすこと、自分を活かすこと、みんな「はたらく」につながる。
例えば、「旅」についていえば、どのような移動手段で旅ができるのか、ということをまじめに研究している。旅で景色を楽しむとか、食べ物を味わうとか、そんなことよりも移動手段に関心がある、と言い切る人も。(笑)

だけど、重度の障害がある人は、自分が好きなことや自分を活かして一生懸命するって言ったって、生きていくためのお金がないと生活ができないからそんなこと言っていられない。支えてくれる親だっていつまで生きられるかわからない。
はたらくことから得られる対価や誰かがはたらいた結果から得られるものも含め、さまざま価値観が認め合える社会が必要。例えば障がい者の既成概念にとらわれない独特な世界観を表現する特徴をうまく活かしたエイブルアートもそのひとつ。
「地域通貨」という方法も一つ。地域の中で「得意」などを交換する仕組み。例えば、地域の中に移動が難しいAさんが「駅まで行きたい」と思っていたとする。そのときに車を持っているBさんがそのAさんを駅まで送ってあげる。Aさんは送ってもらったからマイナス1、Bさんは送ってあげたからプラス1。Aさんはそのマイナスを、Bさんに直接返しても返さなくてもよくて、地域の誰かに得意を返せばプラスが加算されるという仕組み。マイナスはすぐに返さなくても10年先でも、それこそ出世払いでもOK。得意の労力や価値によって互いの合意でその値段はかわる。

そもそも自律神経失調症やうつ病など心の病のある人は、 自分がしたいことについて、気持ちや考えを整理し、スムーズに行動するのに支障をきたすことが多い。「はたらく」ってもっと生活に密着していることでは?はたらくことで生活リズムができる。だから、「何のために」というより前に生活のベースをつくるためにも「はたらく」は必要なもの。そして、「はたらく」だけじゃなく「休む」ことも同じくらい重要。休日あってのはたらく!

1つの「はたらく」を生き甲斐にすると危険。その「はたらく」がなくなったときに生きる軸を見失ってしまうから。だから、メインの「はたらく」以外にも楽しめること、夢中になれることを持っていた方がいい。日本では定年制で御勤めが終わる。だけど、死ぬことがはたらくことの終わりになってもいいんじゃないか?


・・・ここで話し合われたことや模造紙に書いてあることを読んで・・・「はたらく」ことは、つまり「幸せをみつける」ことという定義ができました!!

by Omnibusファシリ:ゆっこ



どのテーブルでも、本当にあつく深い語りができたようです。すべてのテーブルに行ってお話を聞きたかった!!!

最後に、テーマをあげてくださった方々に感想を述べていただきました。
真剣に聞く参加者のみなさん

今回のomni-cafeは、スタッフと参加者が協力してこの場を作り上げていただけたな、と終わってからつくづく思えました。ワールドカフェ用に机をセッティングする際の「はたらき」や、積極的にテーマをあげてくださった「はたらき」、エレベーターのない会場で車いすの方を階段からおろす際の「はたらき」、そして何より良い場にしようと皆さんが笑顔で対話して、その後つながろうとしてくださった「はたらき」。。。本当にありがたい限りです。

このomni-cafeは、みんなが主役になり、その主役をみんなで支えるつながりをつくることも目的のひとつ。だからomni(みんなの)-cafeなんです。

今回、この場を一緒につくってくださったみなさん、本当にありがとうございました(*^^*)


※なお、cafeでの発言内容や写真の掲載については、参加者の許可を得ています。



<参加者の声>
今回参加してくださった方々にアンケートをとらせていただきました。


①印象に残ったこと、新たな気づきは何ですか?
  • 仕事への感謝
  • はたらく=「働く」「労働」の認識から、「生きがい」「やりがい」へ見方の変化があった。
  • 働きたくても働けない人の多様な働き方をさらに探求したい。
  • 死ぬまで働く、仕事以外の働くが見つかりました。
  • 自分のための幸せを見つけたいと思ったこと。
  • 自分らしくないときに気づくからこそ、自分らしさを感じられる。
  • 仕事は幸せになるためのもの、とても良いなと思いました。とはいえ、地道に稼ぐことも馬鹿にしないでほしいなと思います。
  • 働くことは楽しいだけじゃないつらいこともある。でもその中で幸せを見つけていくって素敵だなと思いました。
  • はたらきたくても働けない・選択できない方々の気持ち
  • 生きること全てがはたらくこと。


②今後の生活やお仕事にどんな影響を与えそうですか?
  • 生きがいについて話していきたいと思った。
  • 復職する患者様と仕事について話す機会があるので、働くについて広い視点で見れるようになりそうです。
  • ワクワクいきいき働ける。
  • 働くことの意味と幸せが結びつきました。
  • 自分やクライエントさんのメンタルヘルスマネジメントや職業人としてのアイデンティティを自問自答試行錯誤していく上で影響を与えそう。
  • 今の仕事につけてよかった。自分らしいという言葉が嫌いでしたが、少し変わりました。
  • 仕事をしていく上でのやりがいが持てるようになりました。



③イベント全体に関してよかった点、改善すべき点をお聞かせください。
  • 話が弾んだので楽しかった。時間の管理でしょうか(笑)
  • 時間が足りないくらい、いい時間だった。
  • もう少し開催時間を早めては?
  • 働くについて、いろんな角度から話ができて楽しかった。
  • 老若男女いろんな人と話ができてよかった。
 
④今回の満足度を10点満点であらわすと?
  • 8点  :  1人:7.7
  • 10点:11人:84.6
  • 11点:  1人:7.7%(K点越えww)



⑤取り上げてほしいテーマは?
介護、障害、お金、つながる、発達障害、地域高齢者福祉、働く続編、生きがいの見つけ方



<編集後記>
第3回を開くまでにずいぶん時間がかかってしまいました。
メンバーはみんなこのcafeに力を入れてくれている人ばかりなので、テーマを1つ決めるにも結構何度かMTGを重ねます。Omnibusのメンバーは行動力あふれる人ばかりなので、みんなのスケジュールを合わせるのに苦労・・・。

今回、「はたらくってなんだろう?」というテーマで心にピンと引っかかる方が多かったのか、たくさんの方にご参加いただけました。平塚だけではなく、都内等から足を運んでくださる方々もいらっしゃいました。そして、なんとなんと代表西野の幼なじみや高校時代の後輩が参加してくれたことは非常に嬉しかったです。そしてそして、平塚市内で活動している市民活動家の方々が参加してくださったのは今後心強いことです。

アンケートを読んでいて、このomni-cafeの目的(「日々の行為・活動に目を向け、意識することで自分らしく健康的に生活してほしい」「社会的に弱い立場にある人たちに気づいてほしい」)が少しでも達成できているように感じられました。これもとても嬉しいことです。

そして、私自身、何かと去年は「はたらく」関連の講演やワークショップ、書籍等を読む機会に恵まれました。このテーマが決まったからというわけではなかったのですが、何か自分に引っかかることがあったんだと思います。このテーマのomni-cafeを主催した張本人ですから、自ら「はたらく」を見直し、新年度からあたらしいはたらき方をしていきたいと思います!



今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします!!


Omnibus 代表 西野由希子