2014年4月28日月曜日

『学びの食卓』× omni-cafeコラボ企画 「あたなから見える食。食からみえるあなた」

 桜がのこる4月6日、omini-cafe初の試みコラボ企画を開催しました。

 一緒にコラボをした『学びの食卓』プロデュースさんは「大人の食育・医療育」をコンセプトに実食を取り入れてワークショップをしているグループです。
 そして、今回はゲストあり!湘南ベルマーレフットサルクラブの久光重貴選手をお招きしてお話いただきました。


 場所は、国の有形文化財に指定されている旧横浜ゴム製造所記念館、通称『八幡山の洋館』で行いました。http://hiratsuka-yokan1906.jp
 ここの建物がある八幡山公園には桜が満開でした。その日は、一日雨の予報でしたが、はじまりとおわりの時間はちょうど雨が上がり、晴れ間も見えるほどで、参加されたみなさんも雨にぬれずに参加することができました(みなさん、日頃の行いが良すぎます!!)そして、桜が本当にきれいでした。こんなすてきなところを市民に開放して、しかもお安く借りられるのはありがたいことです。

 『学びの食卓』というだけあって、このワークショップは毎回実食があります。今回は、平塚市内にありゲストの久光さんが通いつめているオーガニックレストラン メゾン・ド・アッシュ×エムさんのランチボックス付きです!!開催前に美味しそうなのがきれいに並びました!(*^^*)
 ちなみにここのオーナーはとっても熱い♡の持ち主!平塚のまちづくりのために走りまくっています!機会があったらぜひ足を運んでみてください。もしかしたら久光選手に会えるかも?!
maison de H×M http://b-h-m.com
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ワークショップのスタートです!
 まずは『学びの食卓』プロデュースの代表武藤さんから、このワークショップについて簡単にお話ししていただきました。
 ご自身ががんを体験したことをきっかけいに、自身のココロやカラダを人まかせにせず、自分でできることは自分でコントロールできるようになりたい、それを多くの人にも伝えたいとはじめたのが、この『学びの食卓』です。
 病気になっても障がいがあっても、人まかせにせずに自分の生き方を選択できる。これは、omni-cafeのベーステーマ「自分らしく生きる」にもつながるものがあります。そんな『学びの食卓』とomni-cafeが共鳴し、コラボをすることになりました。

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 さあ、久光選手の出番です!

  久光選手は、昨年肺線がんと宣告されました。
 それまで、サッカー選手としてそれなりに健康に気を使っていたようですが、プロテインや野菜ジュースを飲むなどもっぱらサッカー選手としてのカラダを作ることを意識していたようです。
久光さんのビデオ鑑賞中。湘南の番長!
 がんになる前にも非常に強い痛みのある骨髄炎になったこともありました。この痛みは、この足を切断してしまいたいと思うほどに、がんになったことよりも堪え難いことだったそうです。そんなこともあり、それほど自覚症状もなかったので、がんといわれたときは、担当医にまず聞いたことは「いつになったらサッカーできますか?」だったそうです。担当医の返事は「あなたはサッカーが大切ですか?命が大切ですか?」。久光選手は、はっとしたそうです。
 それからがん治療が始まりました。副作用により食事の味がしなかったり、嘔吐や下痢をするようになりました。でも、薬を飲むために食事をとる、だけどとった食事はすぐに外に出てしまい身にならない、という繰り返し。何の味もしない、ただ胃に入れるだけ、でもすぐに出てしまう食事。なんのために食事をとるのかわからなくなったといいます。また、すぐに下痢をしてしまうので外出することもためらわれたそうです。
メゾン・ド・アッシュ×エムのランチボックス
 そんなとき、平塚のメゾン・ド・アッシュ×エムさんのオーガニック野菜を食べたときに、食べ物というのは味わいという楽しみ以外に食感というものがあるということに気がつき感動します。そして、ずっと続いていた下痢が止まり、さらに、レストランという空間で食事を通して仲間と時間を共有する楽しみも得ました。それから、久光さんは「ピッチに戻るため」に食事をとるようになりました。
 現在は、フットサル選手として、がんを体験したことや食事への気づきを通して小児がんの子どもたちへの支援とがん啓発活動を精力的に行っています。 

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 久光選手は次の予定があるためにここでお帰りになりました。非常に感動的で貴重なお話をありがとうございました!当事者のナラティブ(語り)は心にグッと響きます。
 なんと4月1日には、日本対がん協会のフットサル大使に就任しました!
 http://www.jcancer.jp/news/4931
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 久光選手の感動的なお話を伺った後は、みんなでご飯!!(*^^*)感動的なお話を聞いた後でもあり、久光さんが大好きだという食事を食べながらでもあり、自然と会話がはずんでいました。
 実は、今回は美味しいご飯だけではなく、武藤さんが美味しいまめ茶を持ってきてくれました。当たり前ながら、まめの味のするまめ茶。懐かしい味でなんだかほっこりしました。

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  おいしいご飯を食べた後は、いよいよワークショップの始まりです!すでにご飯を食べたことで心がほぐれていたようですが、少しだけアイスブレイク!










 
 
 今回のオープニングクエスチョン「食べて笑顔になったときってどんなとき?」を、個人個人紙に書いて整理した後、各テーブル内でシェアしました。
 いろんな笑顔の瞬間がありましたね。ひとそれぞれ笑顔の瞬間は違うものの、やっぱり美味しいものを食べたとき!が圧倒的(^^)

 次のワールドカフェをするにあたり、こちらでテーマを設定するのではなく、今ここにいる参加者と一緒に話し合いたいテーマを募集しました。出されたお題を4つに絞り込むために多数決をとりました。
決まったお題は・・・
①なぜジャンク?!
②摂食障害
③孤食
④食事をする上での優先順位


 以下、各テーブルのファシリテーターが内容をシェアしてくれました。皆、あついファシリテーターさんたちなので、長いです。覚悟してお読みください…(^^;; それぞれの個性も含めお楽しみくださいww


①なぜジャンク?!

ジャンクといえば・・・
「ジャンクフード」といえばはたしてどのようなものがあるのか?このテーブルでは最初に、各自子供の頃の記憶を呼び起こし、思い浮かぶものを挙げてみました。マック(マクドナルド)などのファストフード・・・子供は大好き。カップラーメン・・・学校から帰るとおやつによく食べた。ポテトチップス・・・食べ始めたらやめられない、とまらない。旅のお供だったりする。安くてしっかり空腹を満たせる点では若者の味方。しかしどれも味が濃い。やがて成長して大人になると、自然と体が欲しなくなる。あまり食べたいと思わなくなる。健康志向が高まる世の中で、体によくない食べ物だとの認識も自分の中で強くなり、次第に遠のき食べる機会が減った。だからやっぱり味方ではなくて悪魔かな。過去から今日に至る時の流れと共に、ジャンクフードと自分とのあいだに隔たりを感じるコメントが目立ちました。

ジャンクは不要?
 かつてに比べ、今では食べる機会が減ったジャンクフード。「ではジャンクはもう要らない?体に及ぼす影響も決してよくないのであれば、世の中からなくなっても大丈夫?」この問いかけに出てきた答えはズバリ“NO。その理由として、忙しくて短時間で食事を済ませたい時、(家での)食事の時間まで空腹を我慢できない時には必要。手軽な感じがよいと思う時がある。たまに無性に食べたくなる時がある。むしろ食べてる時楽しいと感じる時がある。といった声が聞かれました。
 「ではどんな時に食べたくなるのだろう?」ワールドカフェの旅人は答えます。疲れている時食べたくなる。普段健康を気遣う食生活を送っていると、時々羽目を外したくなる。そんな時、衝動的に手を伸ばしているな。よくないと思う気持ち、罪の意識もあるので、ジャンクフードの中でも多少なりとも野菜の入っているものなどを選んで食べたりする。原材料には中毒物質が含まれている。だからやめられないのかな。「ジャンクフードは麻薬だ!」こんなコメントに一同笑いながらも、その一方で、物理的・精神的に忙しく緊張した毎日を送る中で、実はジャンクに助けられる、あるいは、支えられる場面もあることを意識したのでした。
 加えて、“季節限定”“期間限定”と謳われた限定もののジャンクに弱い。ついつい今しか食べられないからと買ってしまい食べてしまうとの意見もありました。提供者であるメーカー側の戦略とわかっていながらもワナにはまる自分がいることに沢山の共感が集まりました。

正しいジャンクの取り方とは?ジャンキーを育てない環境とは?
 ではどのようにしたらジャンクフードを適度にそして適切に取ることができるのか。ジャンクフードばかりを好むような子供を増やさない、むしろ育てないようにするためにはどのような環境が必要なのか。改善点とも言えるこれらのポイントについて対話は進みました。ジャンクフードが体に及ぼす悪影響がどれだけのものなのか、まだ現状では一般生活者に浸透していない。データ活用の可視化を実現してわかりやすく生活者に訴える工夫・啓発する機会が必要。また、小さい頃からジャンクフードを常習的に取らない工夫、楽しくジャンクフードを適度に取る方法として、お正月やクリスマスのように「“ジャンクの日”を定める!」との斬新なアイデアが生まれました。日頃は健康志向の食生活を送り、定められた日には特別ジャンクを楽しむ。「もはやジャンクは食事とは違うジャンルだ!」そして、忙しい時、短時間で食事を済ませたい時は、“ハンバーガー”から日本人のソウルフード、“おにぎり”に変えてみる。もっと日本食を見直してみる。「食」という字は人を良くすると書くのだからもっと学んでみよう。尽きることのない様々なアイデアが模造紙を埋めていきました。

 「なぜジャンク?」というお題から始まった対話は、ジャンクフードの持つ二つの側面とジャンクフードと自分自身の関係性、そして未来に向け自分達でつくる新たな環境について展開し大盛況のうちに終了しました。
ファシリ:『学びの食卓』代表 あっちゃん

②摂食障害

「摂食障害」が対話のテーマとなったこのテーブル。脱線しながらも様々な話が飛び交いました。
 大きくわけると以下のような話が出ました。
・「摂食障害」とはなぜおこるのか、どのような状態なのか、何が原因なのか
・食べることが気持ちよくないってどういうこと?
・食べることにはたくさんの意味がある。男女でも違う…etc... 
他にもたくさんの話題が出ましたが上げればきりがありません。。。
 摂食障害の原因には、はは小関係、自己肯定感の不足、不規則な食生活、家庭環境等が関わっているのではないか。実際にお仕事で摂食障害の方の様子やしてはならない話題等の話も出ていました。食事の話は治療場面では禁句だと言う話は印象的でした。
 また、摂食障害の方にとって食事は楽しいものではないだろうという話から、食べることが苦痛ってどんな状態なのかという話に展開しました。食べることが苦痛と言う参加者は今回はいらっしゃいませんでしたが、落ち込んでいるときは食欲がわかないという人は少なくないようでした。 摂食障害の方は、食べることに罪悪感を感じることもあるそうです。今回参加された男性型は食べることに罪悪感を感じないと言うことでしたが、女性にはその罪悪感を感じる気持ちを分かると言う方もいらっしゃいました。女性は、健康的なもの、美味しいものをたべているときに自分自身に自己肯定感を感じているようでした。
 「自分をきれいにする」「素敵なものを食べる」「健康を保つ」「誰かと一緒にいるために食事をする」など、食事には様々な意味が含まれているという話でした。
 摂食障害がどのようなものなのか、社会問題として話したい人もいれば、摂食障害を切り口に自分の生活での食の捉え方を話そうとする方もいました。それぞれが、食に対して自分の考え方を持っているようでした。自分の体をつくる材料は、全て口から取り入れているのだから当然のことなのかもしれません。こうやって集まった皆さんが、それぞれの食生活を経て、健康にこの場所にいることに、私は改めて驚きました。
Omnibusファシリ:成田氏

③孤食

1.一人で食べるは「孤食」?
「孤食」という言葉に対して、はじめに、そもそも一人で食べること自体が寂しいことなのか、豊かな食事じゃないと言えるのかという問いが挙がった。一人で食べることが全般的に否定されているのではないか、これからの高齢者は一人で食べることが当たり前になり、一人で食べることを楽しむことが必要であるという意見も挙がった。
一人で食べることに対して、「一人で食べる場合でも、自分でこだわって作った料理を食べるときや、お気に入りのカフェでゆっくりと一人でご飯を食べるときなど、とても豊かで大切な時間である。」という話になった。一方で、集団で食べていても孤独なとき、豊かではないときがあることも分かった。職場で、同じ空間で食事をしているが、それぞれが仕事をしながら食べていたりと、一緒に食べている味やその時間を全く共有できていないことがある。この場合、誰かと一緒に食べてはいても、豊かな時間とは言えず、ある意味、孤食なのではないかという意見に達した。
一人で食べていても、集団で食べていても、豊かなときもあれば、孤食と言える食事もある。その違いは、その瞬間、その場を楽しむことができているか、集中しているか、ではないか。一人でも誰かと一緒でも、その状況を受入れて楽しむことができる、味わうことができることが豊かな食事であり、その逆の状況が孤食なのではないか。
一人で食べることが、孤独である、豊かではないというイメージはどこから来ているのか。日本は、昔からちゃぶ台を囲んで、お鍋や大皿など、一つの料理を皆でつついてともに食べる食文化だった。一方、西洋では、それぞれ、お皿が独立し、普段の同じ料理を共有することがない。一人で食べることが当たり前の食文化であった。日本人が一人で食事をするときに、孤独なのではないかとイメージする理由はこういった食文化が一つの要因ではないかと話した。
一人で食事をする中で、孤独を感じない、楽しめる食事とはどんなものか。女性陣からは、「好きなものを作って食べるのが楽しい。」などの意見が多かった。また、高齢者の自宅へ弁当の配食をしている方が、「今まで自分がやっていた配食は、届けたときに内容の説明や会話をする。その行為が、その人の食事を豊かにしてるかもしれないとこのテーマで気付いた。」と話してくれた。確かに、そうやって届けられるお弁当でも、届けてくれた人の思いを感じながら食べる、それは置いてあるお弁当を食べるよりもおいしく食べられる工夫になりえる。一人での食事も工夫次第で少しずつ豊かになることが分かった。

2.食事は人が豊かになるために
そして次に、人が食事をとるのは、栄養を摂ることやお腹を満たすための行為だけでなく、豊かになるために行う行為である、という意見が挙がった。人が豊かになる要素の一つとして大切なことは、他者と交流すること。誰かと一緒に食べ、味やその空間を共有することが食事にはとても大切であり、その中で、食をはじめ様々な文化を感じ、身に着ける。日本の文化、各地域の文化、その家の文化、それぞれを食を通して身に着ける。それは特に、人の成長、発達にとって重要であり、子供が家族とともに食事をとることにはとても大きな意味があるのではないかという意見が挙がった。箸の持ち方や、食事のマナーなど基本的な食事の仕方を親や大人たちから学ぶ。それ以外にも、全員が席に着くまでは食べることを我慢するなどの他者への配慮を学ぶことや、おいしいね、あったかいねという心地の良さや、感じたことを、他者と共有すること、人は食事を通して様々なことを学ぶ。
今の家庭は共働きが増え、夜遅くまで塾へ通う子供が多い。簡単に食べられる食事、一人で食べる食事は子供たちに何を招くのか。そのような家庭では、食事の基本的な仕方や感情の共有を行う機会の少なく、食べるための必要な要素を学ぶことができずに成長していく。現在、大学では、一人で食事をすることができず、トイレや階段など、人目のつかないところで昼食を摂る学生の存在が問題となっているのだと言う。そのような学生は退学や休学になる確率が高いとも言われているそうだ。家庭の中で、基本的な食べるという行為を習得できないと、一人で自立して食べることもできないのではないかという話も挙がった。大学での昼食の問題は、その他様々な要因が関係していると思われるが、一人前に食事をすることができるため、また一人での食事を楽しむためには、基本的な食べるの行為を学ぶ必要があるのではないか。参加者の方が、個食は大人の楽しみと表現したが、とても納得した。

3.社会の変化と食
 以上に挙がったように、今後も日本では多くの高齢者が一人で食事をすること、共働きの家庭、子供が夜遅くまで塾に通う文化は大きく変わることはないと予想される。以前のように、多世代の家族で食事を囲むことが困難になったという変化にどう対応していくのか。参加者の中から出たキーワードは、地域とシェアだった。以前の家族の形で食事を囲むことが難しくなった変わりに、地域の中で工夫をしていく必要がある。学校給食の中での工夫や、地域の資源を利用し、血のつながった家族とは異なる、関係同士でも、食を囲む機会を持つことで、ともに食を通して学ぶことができる。地域はそういった可能性を持っているのではないか、新たな食卓の形をもっと作っていく必要があるという話で時間が来た。

4.「孤食」について対話しての感想
 約15分をそれぞれメンバーを変えて3回、対話を行った。45人で15分という限られた時間の中で、「孤食」というキーワードをもとに、食の楽しみから、食事が持つ要素、社会問題と食など、広い範囲でそれぞれの考えを深めることができた。個人的には、食卓を囲む中で行われる、おいしいねという感情の共有や、目の前の料理を作ってくれた人と食べることなどが人を成長させたり豊かにするという対話に、生活することの大切さと喜びを改めて感じた。問題提起から、食とは?という基本的な知識の共有、子供たちへの影響や本来どうありたいかを各ラウンドでそれぞれじっくりと共有した。今後の方向性として、導かれたものには、時間の制限もあったため具体性はないもしれない。しかし、今回のように、様々な文化を持った参加者が対話を重ね、多様な価値観の中で作り出された共通認識をもとに、何か問題の糸口を探る。そのような場ができたら、より具体的で実行性のある方法が導き出せるのではないかという可能性も感じた。
 しかし、やはり対話の面白さは、同じテーマについて語りあう、違う文化・価値を持った人々が、相手の意見を、「自分とは異なるもの」、ではなく、「新しい見方」として、捉え、いつの間にか自分の価値観が新たな形になっていることである。そして、それをそれぞれの生活で知らぬ間に活用してしまうのが、対話の魅力だということを今回のテーマを通して再認識した。
Omnibusファシリ:あず

④食事をする上での優先順位

 このテーブルでは、「食事をする上での優先順位」の中でも、特に「食材」にフォーカスが当たり、「食材」をどう優先するか?なぜ優先するのか?という話が中心になりました。

1.ライフスタイルと食事
 このテーブルに最初に集まったのは女性のみだったため、女性の立場での話がまず始まった。
 私たちは、毎日忙しく働いている。毎日の生活の中で必ず食事の準備をすることが難しくなっている。家族がいれば別だけど、1人暮らしだとついコンビニ弁当やファミレス等で済ましてしまうことが多い。
 コンビニ弁当やファミレスの食材は、大量生産大量消費の資本主義のシステムの中で、大量の農薬が使われている野菜等が入っている可能性は高い。そんな食材を私たちは知らず知らず当たり前に食べてきた。果たして健康への影響はどれほどのものなのか?今の若い人に骨折が増えていることや国民病といわれるがんなど、もしかしたら…と考えてしまう。私たち20〜30代の大人が、そういう食材を食べているということは、結局は自分たちの次の世代の子どもたちに影響を及ぼすと言うことでもある。
 だけど、世に出回っている食材は果たして安全なの?どこにいけば安心して食べられる食材があるの?そして無農薬野菜は高いし…。そんな気軽に利用できない。仕事をがんばることも否定もできない。あまりに食に気を遣いすぎて精神的にも身体的にも疲れてしまっては逆効果。ではどうしたら?
 毎日の食事の食材を全て変えることは現実的ではない。ある人は、そんなにおかずはいらない、ごはんと一品…みそ汁だけはつくるようにしているとか。外食の時は割り切る!が上がった。結局は、今の現状を知った上で、私たち自身がどんな暮らしをしたいのか、どんなライフスタイルを送りたいかによって選択できることが大事なんだという結論の達しました。

2.文化の継承
 日本人は繊細な味を見極められる舌の持ち主です。日本人の味覚は、他国と比べると非常に幅広いと言います。だけど、ライフスタイルの変化から日々の食事を弁当やレストラン、ジャンクフード等で代用していると濃い味付けに慣れてしまい、味覚が劣化していってしまうのではないかという意見がありました。最近は、賞味期限が過ぎたら捨てるため、味覚を使って味を確かめる機会が少なくなったため、腐った食べ物も見極められない若者が増えていると言います。
 「食育」いわれるけど、むしろ教育の過程で舌を養う体験を積むことが大切なのでは?食材のルーツや旬、種類を味わうことで体験し理解していく。あれ?これは旬のものじゃないね、という気づきになるし、危険を察知する訓練にもなるのではないか。

3.食べることは命とつながる
 貧困や忙しさ、あるいは食への意識の低下からか、子どもにファーストフードを日常的に食べさせてしまうケースも増えている。その結果、子どもの心疾患や糖尿病が増えているという。食べるということは、自分のカラダをつくり、命につながる。直接カラダをつくるものであれば、安心できる食材を食べたい。逆に、病気も、薬や病院ばかりに頼るのではなく、自然の力を借りながら治していきたい。
 そして、本来「いただきます」ということは、食べ物の「命」を「いただきます」という意。昔は、非常に厳粛に食を囲んでいたという話も聞きます。食べ物の命を頂くことで自分の命へとつながる。そう考えると、大量生産のシステムで食卓に来た食材のことを思うと、今一度現状を知り、自分たちにできることを考えないといけない、という話も。

4.安心感を得ること、ココロが満たされること
 様々なことが話あわれましたが、この対話を通して「食事をとる上での優先順位」は、安心感を得られることとココロが満たされることによって決まるという気づきが得られた。
 私たちは、もっと食について関心をもって知ることからはじめないといけないのかもしれない。そして、私たちが忘れがちな日本の食の文化を、少しでもいいので生活の中に取り入れてみてもいいのかもしれない。
Omnibusファシリ:ゆっこ

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 最後に、テーブルで話し合われたことを全体で共有し、振り替えりとして個人ワークで「気づいたこと」「生まれた疑問」を整理し、それをテーブル内で共有しました。全体の共有では、どのテーブルもとても深いところまで対話ができたのだなと言うことが分かりました。個人ワークでは、ワールドカフェ中は非常ににぎやかでしたが、この時間は一気にシーンと静かになり、みなさん真剣に振り返っていました。たくさんの気づきがあったのかもしれません。

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 今回、私自身、あまり関心のなかった食についてのワークショップ。これまで向き合ってこなかったテーマだけに、どうなるかとても不安でした。しかし、ここ1年くらい前から食事が深夜近くになることが続き、食後の胃もたれなど体調が悪くなることもあり、気になっているテーマでもありました。
 今回のワークショップで、意外にも多くの人たちのベースにある思いはどこか似ているものがあるように感じました。皆さんが自分自身の食、日本の食について「どこかおかしいかも?」と強弱はありながらも感じていたようです。


<参加者の声>
最後の振り返りに書かれた内容を一部ご紹介します。

・「食」たべるということは、本当に命に直結しているのだという実感が持てました。自分が何を大切に考え「食」と向き合うのか、どこまで食材にこだわるのか、食事の質について、満足度について、立ち止まって考える時間になりました。
・一人暮らしの高齢者の給食サービスが担っている役割を改めて確認しました。(1人で食べていてもそれを届ける人、調理する人がいるという、人のつながりを届けることが重要なのだということ)
・今回の4つのテーマは、非常に現在日本が抱えている問題が浮き彫りになり、今後次の世代の人たちにどのように伝えて行かなければならないかを痛感しました。
・地球上で四季のある豊かな日本が本来もっている文化を大切にしていくことを今からでも考えていく必要性を感じました。
・食べることは生きること、命につながっているという感覚が薄れがちな現代。あらためて健康に楽しく食べることの大切さを感じた。
・どうしたら家族という枠なしで地域・多世代が、食でつながる楽しい場づくりができるかな?つくりたい!! 
・「食べる」ことにはバランスをとることが大切。栄養・個と集団・ライフスタイル(時間)・どんなものを食べるか?何を楽しむか?
・豊かな食へ。味覚を育てるという考え。(自然の物・本物・おいしい物を食べる)、未来の自分へ優しくする手段。日本の文化。
・病気になったとき、食事の取り方を良くすれば、より良く生きることができる。私たちは普段の食事の意味を理解し生を充実することができる。
・孤食・ジャンクフード・食事の順位・摂食障害のテーマを通して、食の変化が時代の変化に応じて生まれてきていると考えることができる。他国と比較し、日本の問題を理解して改善策を考えたい。
・食に求めるものは「安心感」「満足感」だということ。食べる時間の過ごし方・感じ方で良い時間にも悪い時間にもなるし、食べるものの選択によって良いものにも悪いものにもなる。選択する自分の責任を感じた。命を選択することだとも思った。
・孤食・個食の話題で、食べるためのベースができているから個食ができる、という意見があった。この中でいえるのは、やはり、家族や地域の中で自分のベースをつくることができていることが大切。
・日本人として、この生まれながらの器質を大切にしたい。

※なお、ワークショップでの発言内容や写真の掲載については、参加者の同意を得ています。


<編集後記>
 今回も遠くから近くからたくさんの方々が集まってくださいました。いつも本当にありがとうございます。
 そしてomni-cafeとしては新しいことに3つもチャレンジしました。それはコラボ・ゲストスピーチ・実食。このゲストがまたすばらしかった!これは武藤さんとのコラボがあってこそのチャレンジでした。武藤さんと久光さんに感謝申し上げます。ありがとうございました!
 私はこのワークショップを経験してから、お昼ご飯を外で買わずに家の食材を使って持ち歩くようにしました。そして、気軽にコンビニやコーヒーショップに立ち寄らないようにしています。食材のプロセスまではこだわれないので、まずはできることから変えようと思ってます。(非常勤勤務になり節約しないといけない状態になったと言うのもありますが…)
 そして、このブログ…。今回もまた更新が遅くなってしまいました。そして、だんだんと長くなってしまっています。果たして最後まで読んでくださった奇特な方は何人ほどいらっしゃるのか…。ワークショップに参加できなかった方にも現場の熱気が伝わればと思い、ついつい長くなってしまっています。。。どうかご容赦ください。


Omnibus代表 西野由希子

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